少年を抱えた恭司がエレベーター脇にある業務用の内線で管理室に連絡を入れ、空いている部屋をとりあえず使う旨を伝えれば、係の新人は不安そうな硬い声で了承を伝えた。
『社長が出られたあと、渋沢さんからすぐ連絡があって、待機するように言われたもので……』
管理室にも恭司の眺めたものと同じモニターがあり、ただならぬ状況を見てはいたのだろう。警備会社への連絡も、渋沢の指示でストップされたとの報告を受け、恭司はそれでいいと答えた。
「心配はない。通常通り業務を行ってくれ。それで、空いてるのは」
『302になります。チェックシステムは解除しておきますので』
よろしくと告げ、腕の中の身体を抱えなおしても、なお彼は目を覚まさないままだった。
(まさか、死にやしないだろうが……)
病院に運ぶにも状況が状況のため、こうなればいったん梼にならせて懇意の医師を呼びつけるしかないと恭司は判断する。
だが、見た感じではそう顔色も悪くはなく、単純に気を失っているようだ。少し待って状態を見るか、とひろびろとしたベッドに彼を横たえ、吐息しつつネクタイをゆるめる恭司は、思わず備品などの状態を確かめてしまった。
「ドリンク補充OK、ゴムOK、清掃状態……まあ、よしだな」
ついつい風呂の排水溝まで室内チェックをしてしまうのは既に職業病だが、このたび雇ったルームクリーニングのバイトはまあまあの仕事をしているようではある。
なにしろホテルの性質上、どういう行為が行われるのかわからないので、クリーニングについては特に神経を使うのだ。
まず清潔に、衛生基準をクリアすることが第一。その上で見た目もうつくしく整えなくてはならない。清掃担当の残したチェック表と照らし合わせ、恭司は合格と頷いた。
そうしてひとしきりチェックを済ませても、まだ少年は目を覚ます様子はない。
「さてと……」
どうしたものか、と恭司は火を点けないままの煙草をくわえる。
ぐったりとした少年を引き取ったのは、みすみす村井の手に渡すのがしゃく癪だったのも実際だが、念のため住所などを聞き出し、今後について言い含めておくためだった。
裏の世界を知らない若者がばかな真似をして事件にでもなれば、真っ先に面倒に巻き込まれるのはホテル経営者でもあるため、情報を押さえるのは自衛手段として必要だ。
セックスを売ることに対してのリスクがなにかを知らぬまま、勝手に破滅する分には自業自得と言えても、恭司はその無謀さを止めてやるのもプロの仕事と思っている。
渋沢あたりには、「だからあんたは甘いんだ」と苦い顔をされることだろうけれど。
「売りをやるにしちゃ、呑気な顔だな……」
吐息混じりに零したように、いま横たわる少年は恭司の目にあまりにも幼く映った。
小柄で華奢な彼は、服装もジーンズにTシャツと素っ気なく、育ち損ねたような印象の身体つきをしている。
よく見ればずいぶんとかわいらしい顔立ちをしていたが、閉じていても大きな目ばかりが目立つ。小ぶりな唇もやわらかそうな頼も子ども子どもした印象が強く、どうにも色気に欠けるような気がした。
顔にかかった長めの髪は赤茶けているが、根本から同じ色をしているところを見ると地毛かもしれない。払いのけてやれば少しばさばさした手触りがあり、あまり栄養状態がよくなさそうだった。
「こんなガキが、売りか……」
恭司にはわからない趣味だが、まあそれでも表の好事家には好まれるのかもしれないと考えていれば、ぴくり、とそのまぶた瞼が震えた。
「……おい、平気か?」
「う、……ん」
軽く頬を叩いて覚醒を促せば、一瞬びくりと顔をしかめた彼は、音のしそうな勢いでばっちりと目を開く。
(……へえ)
まだ焦点の合わない、髪に同じく茶色がかった瞳が開かれると、幼げなばかりだった印象がまた
変化した。透明で澄んだその大きな瞳には、ふっと吸い込まれそうな不思議な引力があった。
「あ、……ひいっ!?」
間近に覗き込んでいた恭司に、数秒の問を置いて気づいたのだろう。瞬時に青ざめた彼は震え上がり、反射的に逃げようとする。
「おい……? どうした」
「ご、ごめんなさい、ゆる、許して、ごめんなさい……っ」
じたばたとするのを軽く押さえ込めば、細い身体を庇うように縮こまり、震える声を発するだけだった。どうやら意識を失う直前のまま、パニック状態であるのだろう。
(ったく、ガキはこれだから……!)
哀れさと同時に、その程度の度胸でよく売りなぞする気になった、と恭司は呆れる。怖いもの知らずなのも厄介だが、こうまで怯えるなら違法行為などしないでくれと言いたかった。
「……おい、落ち着け。さっきの男はもういないから」
「ひあっ、あ……っ!」
助けた上に怯えられたのも少しばかり不快で、吐息混じりの声にやや険のあるものが混じったのは、仕方ないことだったろう。しかし、ひとまず自身の不愉快は置いておくしかない。
「いいから、落ち着け!」
あえてきつい声を発すれば、びくん、と瞳を閉じて縮こまる。それでも抵抗がやんだことにほっとして、恭司はできるだけゆっくりと、やわらかな声を出した。
「喋れるか。吐き気は? 殴られたところ以外に痛みはないか」
軽くなだ宥めるように腕を叩いて、まずは状態を問いかければ、両腕で覆った顔をおずおずと上げる。
「あ、の……? あなた、は?」
少しは落ち着いたのだろうが、ありありと困惑を滲ませた涙日の問いかけはどこか小動物めいた印象がある。それはどこか怒っている方が罪悪感を感じるような、いたいけなものだった。
「俺はこのホテルのオーナーだ。面倒なことになってたんで、さっきの男からおまえを引き取った」
「あ、……助けて、くれたんですか……」
憮然とした恭司に対してほっとしたように力を抜き、またくたりと目を閉じそうになる彼に、 「寝るな!」と凄んでみせる。
「助けてくれたじゃねえだろう! 聞いたことに答えろ!」
「あ、あ、ごめんなさいっ、ええと、吐き気とかはない、ですっ……っ痛てて」
恭司の厳しい声にびくっと跳ね起きて答えたあと、後頭部を押さえる。
「起きられるようなら平気か。……あとで病院いっとけ、念のため。場所が場所だ」
「あ、はいっ……痛っ」
見せてみろと恭司がその髪をかき上げればこぶができており、出血はないようだった。ぱちぱちと涙を払って瞬きする瞳にも充血はなく、そのことには安堵しつつも恭司は口を開く。
「……おまえ、売りやろうとしたってな」
問いかけに、ぎくりと細い肩は強ばった。両手で頭を押さえたまま、上目に窺う様子があまりに幼げで、少しばかり複雑になる。
「あの、……さっきのひと、は?」
「帰った」
切って落とすような返事に、なぜか彼はほっとしたように息をついた。そこには客を逃がしたことへの績念さは寧えず、恭司は少しばかり首を傾げる。
「どうこう言うつもりはねえけど、厄介ごとは困るんだ。やるならよそ行ってやってくれ」
「すみません……」
しょんぼりとする様子にやりにくさを感じつつ、名前は、と問えばさすがに警戒を露わにする。
「あの、警察に……言うんですか?」
「言うか、ばか。いいから答えろ、歳は?どこに住んでる」
みすみす問題を大きくする経営者はいないだろうと睨めば、恭司の迫力に押されたように震える唇が開かれる。
「とお遠や矢、りく陸です。もうすぐ、ハタチで……」
「……てめ、ふざけんな?」
見え見えの嘘をつくのに呆れて睨めつければ、その迫力に青ざめながら陸は両手を振った。
「そのツラのどこがハタチだ、あ!?」
「ほ、ほんとです、ほんとに……っあの、ほら、これっ」
舌打ちした恭司の前へ、細い指が財布の中からなにかを取り出す。差し出されたのは原付の免許証で、そこにある生年月日は確かに、陸がこの年成人することを示していた。
「……嘘だろ」
その事実にも愕然としたが、同時にまた、こんな場面であまりに素直に身分証明書を出してよこす陸にも呆れてしまう。
(こいつ、ばかか……?)
『社長が出られたあと、渋沢さんからすぐ連絡があって、待機するように言われたもので……』
管理室にも恭司の眺めたものと同じモニターがあり、ただならぬ状況を見てはいたのだろう。警備会社への連絡も、渋沢の指示でストップされたとの報告を受け、恭司はそれでいいと答えた。
「心配はない。通常通り業務を行ってくれ。それで、空いてるのは」
『302になります。チェックシステムは解除しておきますので』
よろしくと告げ、腕の中の身体を抱えなおしても、なお彼は目を覚まさないままだった。
(まさか、死にやしないだろうが……)
病院に運ぶにも状況が状況のため、こうなればいったん梼にならせて懇意の医師を呼びつけるしかないと恭司は判断する。
だが、見た感じではそう顔色も悪くはなく、単純に気を失っているようだ。少し待って状態を見るか、とひろびろとしたベッドに彼を横たえ、吐息しつつネクタイをゆるめる恭司は、思わず備品などの状態を確かめてしまった。
「ドリンク補充OK、ゴムOK、清掃状態……まあ、よしだな」
ついつい風呂の排水溝まで室内チェックをしてしまうのは既に職業病だが、このたび雇ったルームクリーニングのバイトはまあまあの仕事をしているようではある。
なにしろホテルの性質上、どういう行為が行われるのかわからないので、クリーニングについては特に神経を使うのだ。
まず清潔に、衛生基準をクリアすることが第一。その上で見た目もうつくしく整えなくてはならない。清掃担当の残したチェック表と照らし合わせ、恭司は合格と頷いた。
そうしてひとしきりチェックを済ませても、まだ少年は目を覚ます様子はない。
「さてと……」
どうしたものか、と恭司は火を点けないままの煙草をくわえる。
ぐったりとした少年を引き取ったのは、みすみす村井の手に渡すのがしゃく癪だったのも実際だが、念のため住所などを聞き出し、今後について言い含めておくためだった。
裏の世界を知らない若者がばかな真似をして事件にでもなれば、真っ先に面倒に巻き込まれるのはホテル経営者でもあるため、情報を押さえるのは自衛手段として必要だ。
セックスを売ることに対してのリスクがなにかを知らぬまま、勝手に破滅する分には自業自得と言えても、恭司はその無謀さを止めてやるのもプロの仕事と思っている。
渋沢あたりには、「だからあんたは甘いんだ」と苦い顔をされることだろうけれど。
「売りをやるにしちゃ、呑気な顔だな……」
吐息混じりに零したように、いま横たわる少年は恭司の目にあまりにも幼く映った。
小柄で華奢な彼は、服装もジーンズにTシャツと素っ気なく、育ち損ねたような印象の身体つきをしている。
よく見ればずいぶんとかわいらしい顔立ちをしていたが、閉じていても大きな目ばかりが目立つ。小ぶりな唇もやわらかそうな頼も子ども子どもした印象が強く、どうにも色気に欠けるような気がした。
顔にかかった長めの髪は赤茶けているが、根本から同じ色をしているところを見ると地毛かもしれない。払いのけてやれば少しばさばさした手触りがあり、あまり栄養状態がよくなさそうだった。
「こんなガキが、売りか……」
恭司にはわからない趣味だが、まあそれでも表の好事家には好まれるのかもしれないと考えていれば、ぴくり、とそのまぶた瞼が震えた。
「……おい、平気か?」
「う、……ん」
軽く頬を叩いて覚醒を促せば、一瞬びくりと顔をしかめた彼は、音のしそうな勢いでばっちりと目を開く。
(……へえ)
まだ焦点の合わない、髪に同じく茶色がかった瞳が開かれると、幼げなばかりだった印象がまた
変化した。透明で澄んだその大きな瞳には、ふっと吸い込まれそうな不思議な引力があった。
「あ、……ひいっ!?」
間近に覗き込んでいた恭司に、数秒の問を置いて気づいたのだろう。瞬時に青ざめた彼は震え上がり、反射的に逃げようとする。
「おい……? どうした」
「ご、ごめんなさい、ゆる、許して、ごめんなさい……っ」
じたばたとするのを軽く押さえ込めば、細い身体を庇うように縮こまり、震える声を発するだけだった。どうやら意識を失う直前のまま、パニック状態であるのだろう。
(ったく、ガキはこれだから……!)
哀れさと同時に、その程度の度胸でよく売りなぞする気になった、と恭司は呆れる。怖いもの知らずなのも厄介だが、こうまで怯えるなら違法行為などしないでくれと言いたかった。
「……おい、落ち着け。さっきの男はもういないから」
「ひあっ、あ……っ!」
助けた上に怯えられたのも少しばかり不快で、吐息混じりの声にやや険のあるものが混じったのは、仕方ないことだったろう。しかし、ひとまず自身の不愉快は置いておくしかない。
「いいから、落ち着け!」
あえてきつい声を発すれば、びくん、と瞳を閉じて縮こまる。それでも抵抗がやんだことにほっとして、恭司はできるだけゆっくりと、やわらかな声を出した。
「喋れるか。吐き気は? 殴られたところ以外に痛みはないか」
軽くなだ宥めるように腕を叩いて、まずは状態を問いかければ、両腕で覆った顔をおずおずと上げる。
「あ、の……? あなた、は?」
少しは落ち着いたのだろうが、ありありと困惑を滲ませた涙日の問いかけはどこか小動物めいた印象がある。それはどこか怒っている方が罪悪感を感じるような、いたいけなものだった。
「俺はこのホテルのオーナーだ。面倒なことになってたんで、さっきの男からおまえを引き取った」
「あ、……助けて、くれたんですか……」
憮然とした恭司に対してほっとしたように力を抜き、またくたりと目を閉じそうになる彼に、 「寝るな!」と凄んでみせる。
「助けてくれたじゃねえだろう! 聞いたことに答えろ!」
「あ、あ、ごめんなさいっ、ええと、吐き気とかはない、ですっ……っ痛てて」
恭司の厳しい声にびくっと跳ね起きて答えたあと、後頭部を押さえる。
「起きられるようなら平気か。……あとで病院いっとけ、念のため。場所が場所だ」
「あ、はいっ……痛っ」
見せてみろと恭司がその髪をかき上げればこぶができており、出血はないようだった。ぱちぱちと涙を払って瞬きする瞳にも充血はなく、そのことには安堵しつつも恭司は口を開く。
「……おまえ、売りやろうとしたってな」
問いかけに、ぎくりと細い肩は強ばった。両手で頭を押さえたまま、上目に窺う様子があまりに幼げで、少しばかり複雑になる。
「あの、……さっきのひと、は?」
「帰った」
切って落とすような返事に、なぜか彼はほっとしたように息をついた。そこには客を逃がしたことへの績念さは寧えず、恭司は少しばかり首を傾げる。
「どうこう言うつもりはねえけど、厄介ごとは困るんだ。やるならよそ行ってやってくれ」
「すみません……」
しょんぼりとする様子にやりにくさを感じつつ、名前は、と問えばさすがに警戒を露わにする。
「あの、警察に……言うんですか?」
「言うか、ばか。いいから答えろ、歳は?どこに住んでる」
みすみす問題を大きくする経営者はいないだろうと睨めば、恭司の迫力に押されたように震える唇が開かれる。
「とお遠や矢、りく陸です。もうすぐ、ハタチで……」
「……てめ、ふざけんな?」
見え見えの嘘をつくのに呆れて睨めつければ、その迫力に青ざめながら陸は両手を振った。
「そのツラのどこがハタチだ、あ!?」
「ほ、ほんとです、ほんとに……っあの、ほら、これっ」
舌打ちした恭司の前へ、細い指が財布の中からなにかを取り出す。差し出されたのは原付の免許証で、そこにある生年月日は確かに、陸がこの年成人することを示していた。
「……嘘だろ」
その事実にも愕然としたが、同時にまた、こんな場面であまりに素直に身分証明書を出してよこす陸にも呆れてしまう。
(こいつ、ばかか……?)
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